「なっ……んだよそれ!」
少年の怒りが再燃した。個人の都合に巻き込まれた、振り回された、という意識が、彼の怒りを激しく沸き立たせる。
思わず身体を乗り出して、彼は怒鳴った。
「じゃあ、俺はあんたの都合で振り回されて、殺されそうになったってことか!? 自分が成仏できないからって、他人を巻き込みたかったってことか!? ふざけんじゃねぇ!!」
「アンタにはわかんないわよ!! どれだけ苦しいことか、どれだけ悔しいことか!!!」
少年の怒鳴りを上回る勢いで、彼女は叫び返した。
少年は圧されながら、少女を見つめた。あまりの勢いのためか、肩で息をし、目には涙を浮かべている。
「アンタにはわかんないわよ……一人で、誰にも発見されないまま朽ちていって、誰もいないところで独りで跡形もなくなる寂しさなんて……誰かの都合に振り回されて自分の人生めちゃめちゃにされた悔しさなんて!!」
大きな目から、ぼろぼろと涙が零れ落ちる。言葉の意味が飲み込めず、戸惑いながら、彼はただただ彼女を見つめていた。彼女の涙の後ろには、見かけからは想像も出来ないほど鋭い眼差しが潜んでいる。
「振り回されてって……どういうことなんだ……?」
戸惑いを隠せぬまま、彼は勢いを落として聞き返した。彼女は、鋭い目つきのそのまま、
「私は、通り魔に殺されたの」
「あの日、たまたま残業で遅くなって、私は一人で帰ってたの。
電車通勤で、いつもは家から自転車で駅に行くんだけど、あの日は朝雨が降っていて、自転車がなかったから、仕方なく歩いたの。
裏道が多くて、暗い道をただただ歩いてたんだけど……そしたら、向かいから、変な男が歩いてきたのよ。帽子を目深にかぶって、夜とはいえ、暖かい日だって言うのに、ロングコートを着こんで、大きいマスクなんかして……
なんだか気持ち悪くて、なるべく見ないように歩いてたんだけど、その男、突然私の方に向かって歩いてきて……」
彼女はそこで言葉を一旦切った。俯き、スッと短く息を吐く。
「刃物かなんかで、横っ腹をグサッと」
少年は息を飲んだ。光景が目に浮かんで、思わず顔をしかめる。
「それだけならまだよかったんだけど、あの男、何度も何度も突き刺してきたのよ。恨みでもあるかのように、しつこく、抜いたり、刺したり……」
彼女の声は、わずかに震えていた。過ぎたこととはいえ、自分の嫌な記憶なのだ。話すにも、相当の勇気が要るのだろう。
「そこで意識を失って、気がついたら、意識は幽霊みたいな状態、身体は温泉の中。
完全に思い出すまでに、えらい時間かかったわ。
で、始めは引き上げてもらおうと思って、警察とかを選んで話しかけてみたけど、誰も気付いてくれなかったのよね。だから、手当たり次第話しかけてみたけど、気がついた人はいない。そのうちに、身体は朽ち果てちゃって……私はここで、独りで消えちゃったも同然なのよ。
悔しくてね……だから、この際、誰かを巻き添えにして、同類にして同じ苦しみ味わわせてやるって、半ばやけになって。
結局、見えなきゃ何にも出来ないから、見える人を捜して……そしたら」
「俺に会った、てわけか」
「そゆこと」
そこで彼女は顔を上げた。話すだけ話して、すっきりしたためだろう。
「でも、俺霊感なんてなかったはずだけど……」
「見える見えないってのは、霊感云々の問題じゃないのよ。なんか、どこかしらにつながりがあると、見えるみたいなのよね」
繋がり……そういわれて、彼は頭をひねった。自分と、この彼女との共通点……?
「ま、そういうわけで。さっきまでは、ちょっとした罪悪感もあったんだけど……もう殆ど話しちゃったんだし、いいよね?
一緒に、沈んでもらうよ?」
彼女はすくっと立ち上がり、怪しく微笑んだ。あまりに不気味で、彼の背筋に、ぞくっと悪寒が走った。
「ま、待てよ! 何でそこからそういう……」
「やっと仲間に出来そうな人に会えたのよ。霊感が無いって言うなら、何かしらつながりがあるのよね。光栄よ」
じりじりと、彼女は歩み寄ってくる。彼は先程までの勢いはどこへやら、突然怖気づいたように、後ろへ下がる。
「第一、俺じゃなくて、もっと身近な人連れてきゃいいだろ!? 家族とか友達とか……一緒にいるなら、知らないやつよりよっぽどいいって!」
必死になって彼が叫ぶと、彼女はぴたと歩みを止めた。じっ……と、彼を見つめる。
どことなく、表情に寂しさが浮かんでいるのは、気のせいだろうか。
「家族や友達が、殺せると思ってるの?」
言われて、彼ははっとした。自分のそばにいて欲しいからとはいえ、自分の都合で、近しい人たちを殺すことなど、自分にだって出来ない。
「家族や友達を、私の都合で殺すことなんて出来ない。私と同じ気分は、皆には味わってもらいたく無いわ……」
第三者ならいいなんてのは身勝手だ、そう思うかもしれないが、彼にはそうは思えなかった。
やけになっても、家族や友人のことは考えているのだ……。
そう思うと、彼女の行動が、不可解なものに思えてきた。第三者を引きずりこむことは、彼女を満足させるのだろうか?
「……てかさ。他のやつに味わわせて、あんたは満足するのか? 俺や、他の誰かを巻き添えにして、ここに沈めて、そしたら、あんたは満足して、成仏するの?
できないなら、やるだけ無駄だよ」
彼の言葉を聞いた途端、彼女は表情を変えた。はっとし、衝撃を受けたような表情を見せる。
「……仲間が欲しかった、巻き込みたかった。その理由は、自分がそうされたから。でも、身近な人は巻き込めない、だから第三者を……って。なんだか、変だよ。
そこまで未練が残るものなの?」
彼女は何も言わない。ただ茫然と、立ち尽くしている。
彼はさらに言葉を続けた。
「ほら、輪廻転生っていうじゃん。死んでもまた、生まれ変わるってやつ……。現世……ていうの? 今の状況にずっとしがみついてないでさ、後世に望みをかけるってのも、ありじゃない?
前向きになろうぜ」
その言葉を話した途端、彼ははっとした。
前向きになろう……それは、自分が一番求めていた言葉ではないか。
今の状況にしがみついて、先の見えない今にしがみついて、悲観していただけの自分が、一番欲しかった言葉。
彼女とのつながりとは、まさに、しがみついて、前を見れなかったこと……。
一番言われたかった言葉を、自分が言うとは、何てことだろう。
なんだかおかしくって、自然に、笑みがこぼれた。
「はは、ははは……」
「……な、何……?」
突然笑い出す彼に、彼女はきょとんとする。
「いや、ね……まさか、言われたかった言葉を、自分が言うとは思ってなくてさ……」
彼は再び笑い始めた。彼女は意味がわからず、きょとんとし続ける。
一通り笑い終えた後、彼は彼女に向き直った。
「俺さ、家出してきたんだよ。周りは将来のこととかちゃんと考えてるのに、俺は何も考えられなくて、一体なんなんだろうって……それで飛び出てきちゃったんだけど、それって、今にしがみついて、先のこと考えてなかったからなんだよなって……前向きになるのは、俺もなんだよなって。
そう思ったら、笑えてきてな」
彼女は唖然とした。しばらく固まり、やがて、クス、と笑い出した。
「はははっ。確かにね。変なのー」
彼女は最初のように……見た目に合った、無邪気な笑みを見せた。彼もつられて笑い出し、二人は暫く笑いあった。
「そうよね。輪廻転生……生まれ変われるんだもんね。
ありがとう、やっと、光が見えたって感じ」
彼女はにっこり笑った。彼も微笑を浮かべて返す。
「今なら、成仏できそうな感じだわ……」
「あ、でもちょっと待って」
消えようとしたところでまったをかけられ、彼女はきょとんとする。
「死んだのって、二十歳なんだろ? 何でそんなちっこい女の子の格好してたわけ? んな古ぼけたぬいぐるみまで持っちゃって。まさか、二十歳になってもそんなだったの?」
「んなわけないでしょっ! そーねー……んー……」
彼女はあごに手を当て、考え出した。
「たぶんねぇ……一番楽しかった時期だったからじゃないかと。死んでからだと好きな形取れるみたいだし、無意識に一番楽しかった年代の、この格好になってたんじゃないかなぁと……」
「……てか自分で変だと思わなかったの?」
「別に。ただ、このうさちゃん、小さい頃買ってもらって、ずっと持ってたやつで。気がついたらもってたから『あらうさちゃんも一緒にいるのね』くらいで、見た目にはなんとも……」
実は天然か。
内心ツッコミを入れつつ、彼は思った。
呆然とする彼に、彼女はにっこり微笑んだ。
「そうそう。名前、教えてなかったよね。最後だし、覚えておいてね。
あ、でも君の名前も知りたいな。先に教えて」
声をかけられ、彼はようやく我に帰った。
「翼。水城翼っての」
「タスク……? 面白い名前なんだね。
じゃあ、私のも覚えておいてね。
私は、未輪。転生未輪って言うの。
……ありがとう、タスク君」
話し、にこりと笑うと、彼女から光が放たれた。すうっと、光の中に溶け込むように、彼女の姿が薄れていき……
気がつくと、ウサギのぬいぐるみを残して、彼女の姿は消えていた。
彼は、暫く呆然と立ち尽くしていた。
「一体、なんだったんだろうな……」
彼はぼそりとつぶやいた。自分と似た境遇を持ち、消えていった彼女。
テンショウ ミワ。最後に聞いた、彼女の名前。
「自分だって、面白い名前じゃねぇか……」
足元のぬいぐるみを拾い、汚れをはたく。
彼女と一緒に、今にしがみついていた自分も消えたのだろうか。
自然に、笑みがこぼれた。
彼はぬいぐるみを、温泉の底に沈めてやった。
せめて、小さい頃からの仲間で、死んでも共にいた仲間は、一緒にいさせてやろうと。
その後、彼は自宅へ戻った。
出て行ってから約三週間が過ぎていて、駅で一番に自分を迎えたのは、自分の顔がでかでかと張られた、捜索願のポスターだった。
もちろん両親や教師にはこっ酷く叱られ、友人達にもえらく心配されていて、申し訳ない気分でいっぱいになったが、それでも、気分は晴れやかだった。
それから数日後に、彼は新聞である記事を見つけた。
『帰宅途中に行方不明になった転生(てんしょう)昇さん(58)の長女未輪(みわ)さん(当時20)を 殺害したとして、彼女の元交際相手の無職川合一貴容疑者(25)を逮捕した。川合容疑者は○○警察 署に「昔の女を殺した」と自首して……』
転生 未輪。テンショウ ミワ。二十歳。
あの時、自分を振り回してくれた、ウサギのぬいぐるみを持った少女が、頭に浮かぶ。
「また、凄い字をあてたもんだ……」
ポツリとつぶやいた。未だ、輪廻転生できない。転生 未輪。
「もう、転生出来たろうな……」
現世の名前からのしがらみからも、解き放たれたんだな……。
そう思わずにはいられなかった。
あれから、十年の歳月が過ぎた。
彼はあの後に神奈川の大学を受験し、卒業後は横浜の会社に勤めて、今に至る。
自宅に一番近いのは箱根湯本駅。そのそばで、昔、自分がここにふらりと来た時に立ち寄った、あの店が、今でも賑わっている。
店の前を通るたびに、彼は思い出す。あの日のことを。自分を変えた日を。あのうさぎのぬいぐるみを持った少女のことを。
「……何をあげたらいいものやら……」
おもちゃ屋や洋服屋などの専門店の立ち並ぶ商店街を歩きながら、彼はぼそりと呟いた。
彼にも、「彼女」と呼べる存在が出来、今日は彼女の誕生日だ。一緒に祝ってやると約束したものの、どうもプレゼントを選ぶというのが彼は苦手で、延ばし延ばして結局当日になってしまった。
できることなら退社後すぐに飛んでいきたかったが、手ぶらでは虚しい。そんな見栄を張った自分に、大きな溜息をひとつ。
おもちゃ屋のショーウィンドウが目に入り、彼は思わず立ち止まった。
ショーウィンドウにどんと大きく存在を示し、綺麗に飾ってあるのは、あの日温泉に沈めた、古ぼけたぬいぐるみと同じデザインの、うさぎのぬいぐるみ。もちろん、まだ新しいままで、結構な値段を書いた値札をつけている。
彼は呆然と、そのぬいぐるみを眺めていた。
そこに、
「ねーママ、あのうしゃちゃんが欲しいー」
小さい女の子のねだる声。ふとそっちの方に目をむけ……彼は再び、驚愕した。思わず、声が出そうになったほどだ。
そこにいたのは、あの日、自分が家出した時にであった、あの少女にそっくりだったのだ。薄紅色の唇も、大きな目も、服装や髪型まで、生き写しみたいにそっくり……。
少女は母親に手を繋がれたまま空いた方の手でうさぎを指差し、一生懸命ねだる。
母親の方は少女へにこりと微笑み、そのまま手を引きながら通り過ぎていった。
「はいはい、お誕生日の時にでも買ってもらいましょうね、美和ちゃん」
彼の頭に、衝撃が走ったようだった。
あの子の母親だろう。その女性が、少女をそう呼んだ。ミワ、と。
彼は思わず彼女達をずっと、目で追い続けた。ミワと呼ばれた少女と、母親らしき女性を……
もしかして、あれは、未輪なのか……!?
なんと言う偶然だろう。ぬいぐるみとはいえ、新しいうさぎのぬいぐるみと、それを欲しがる『ミワ』。
呆然としたまま、彼はふと考えた。
そういえば、明日は未輪と会った、あの日じゃないか……。
翌日、帰宅前に、彼はあの温泉へ立ち寄った。
辺りは大分変わったというのに、珍しく、この温泉には全く手入れがなされていない。
いいのだか、悪いのだか……
あのうさぎのぬいぐるみも、いい加減ぼろぼろになってしまったことだろう。確かめるつもりは無いが、あのショーウィンドウのうさぎは、その生まれ変わりだと信じて疑わない。
彼はくすりと微笑むと、温泉の中に、黒たまごを沈めて、手を合わせた。
あの日、ベンチで共に食べた黒たまご。黄身をべちゃべちゃに口の周りにつけながら食べていた、二十歳にして妙に幼かった、実は天然ボケの少女の思い出。最後に初めて呼ばれた名前と、初めて知った名前……。
いろいろなものが、よみがえる。
「……さて、帰るかっ」
彼は勢いよく身を翻し、帰路についた。温泉へ……思い出と、過去と、少女に手を振りながら……
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